国宝・大浦天主堂

 世界宗教史の奇跡 信徒発見の地
    説明文 銘板碑文等参考

大浦天主堂・日本二十六聖殉教者天主堂の特徴

 ☆ 1597年2月5日(慶長元年12月19日)豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって捕縛された司祭、信徒らが処刑された殉教地である西坂の丘へ向かって建てられた教会堂。
 ☆ 長い禁教の時代を経て潜伏していたキリシタンが名乗りをあげた世界宗教史の奇跡として知られる信徒発見の地である。
 ☆ 天主堂という呼び方は、現在ではあまり使われていません。教会という呼び方が一般的です。戦争前に建てられた教会は天主堂と呼ばれており、文化財の指定時に天主堂と掲載されたため、通称「天主堂」と呼ばれています。(現在は「カトリック◯◯教会」が本来の呼び方です)。

大浦天主堂

大浦天主堂

大浦天主堂

創建時の大浦天主堂

創建時の大浦天主堂

 正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」、長崎大浦地区にあるので通称「大浦天主堂」と言われている。
 日本26聖人の殉教地である聖地、西坂の丘(長崎駅近く)に向かって建てられている。別名をフランス寺ともいい、世界宗教史上名高い“長崎の信徒復活”の舞台でもある。
 1933年(昭和8)1月23日、日本洋風建築の代表的な構造物として、文部省により国宝に指定され、さらに1953年(昭和28)3月31日、文化保護委員会によって、再指定されました。この天主堂は、現存する日本最古の木造ゴシック様式教会であったが、1879年(明治12)外壁を煉瓦構造に改築された。
構造・様式
 江戸時代末期の1864年(元治元)12月29日にフランス人宣教師プチジャン神父の協力を得て、ジラール、フューレ神父の設計図をもとに、熊本県天草出身の棟梁小山秀之進が建設し完成。翌年1865年(元治2)2月19日、ジラール教区長により天主堂は「日本26聖人殉教者天主堂」と命名、献堂されました。
 建築当初は三塔三廊式のゴシック風の造りながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はナマコ壁という和風建築の混合様式であった。正面は信徒発掘を意識し、きらびやかな飾りを施した。
 1879年(明治12)に改築され、外壁をレンガ構造にするとともに、間口を左右に一間ずつ広げ、奥行きも長くして当初の2倍の大きさに拡張し、五廊式でゴシック風建築様式の建物になった。
名称の由来「日本二十六聖人殉教者」とは
 豊臣秀吉のキリスト禁教令によって、1596年(慶長元)12月京都・大阪で捕らえられた外国人宣教師と修道士6人、日本人修道士と信者18人が1597年1月9日堺を出発、途中2人が捕われ、26人が1597年(慶長元)2月5日長崎に到着。即日、西坂の丘で処刑された。
 なかには12歳のルドビコ茨木・13歳のアントニオ・14歳のトマス小崎の3名の少年も処刑されている。1862年(文久2)6月8日、ピオ9世教皇により聖人の尊称を献上され、カトリック全教会信者の尊崇をうけることになった。

信徒発見とサンタマリア像

信徒発見のサンタマリア像

信徒発見のサンタマリア像

 堂内に向かって右の小祭壇にある「聖母子像」が、信徒発見のサンタマリア像。
 建立当時は、フランス人信徒の教会で、「フランス寺」といわれ、美しさと、ものめずらしさで付近の住民たちが多数訪れていた。プチジャン神父は教会の正面に日本語で“天主堂”と書き、カトリック信徒が密かに信仰を伝えているのではないかというわずかな期待を抱いていた。
 1865年(元治2)3月17日、天主堂を参観にきた浦上山里村の杉本ユリら潜伏キリシタン15人がプチジャン神父に、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」(私たちもあなたと同じ信仰をもっています)「サンタマリアのご像はどこ」と聞いた。プチジャン神父は大いに喜び、すぐにフランスから持参していた聖母の前まで導き一緒に祈りを捧げたという。
 キリシタン禁制下で250年間、密かに信仰を続けてきた「潜伏キリシタンの発見」であり、世界宗教史上例のない出来事が、このマリア像の前で起こった。まさに奇跡とも言えるこの感動的な出会いがマリア様を通して行われたのでる。この出来事で、この聖母子像は、『信徒発見のマリア像』と呼ばれるようになった。
 しかしこの出来事が「浦上四番崩れ」と呼ばれる最後の弾圧事件を引き起こしてしまうのです…。
浦上四番崩れについて
浦上天主堂HP:浦上小教区沿革史・復活後の迫害(1)をご覧下さい

日本之聖母像

日本之聖母像

日本之聖母像

 大浦天主堂の入口正面に置かれてある美しいマリア像は、信徒発見という世界のキリスト教徒を感動の渦に巻き込んだ歴史的奇跡を記念してフランスから贈られたマリア像。プチジャン神父はこの像を、1865年(慶応元)6月2日に天主堂の門前に据付、日本信徒発見の記念祭典を盛大に催した。「日本之聖母」という称号は、プチジャン神父が命名されたといわれている。

大浦天主堂敷地内にある信徒発見のレリーフ

信徒発見のレリーフ

地内にある信徒発見のレリーフ

 信徒発見とは、1865年3月17日に大浦天主堂にてキリシタンが発見されたことです。
 敷地内にあるレリーフは、大浦天主堂で信徒が発見された時の出来事を再現したものです。天主堂の完成から約1年後、浦上からやってきた隠れキリシタン15人がプティジャン神父に信仰を告白、喜んだ神父が聖堂内に祀られている「信徒発見のマリア像(サンタマリア像)」のもとへ導いた様子が描かれています。

大浦天主堂アクセス

所在地:長崎県長崎市南山手5-3
アクセス:路面電車:JR長崎駅から1番系統崇福寺行→ 新中華街電停にて乗換→ 5番系統石橋行→ 大浦天主堂電停下車徒歩約5分
拝観時間:8:00~18:00 ※ 但し、拝観受付は閉館15分前に終了いたします。
拝観料:大人1000円、高校生・中学生400円、小学生300円
 団体割引(20人~)大人900円、高・中300円、小200円 障害者割引有り
大浦天主堂マップ

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